母親であることは大変なものだ。毎日、子供を害悪から守ろうと奮闘し、来る日も来る日も、寒くはないだろうか、痛い思いをしてはいないか、お腹をすかしてはいないか、子供が無事であるようにと、あれこれ気をもんでいる。
しかし、さらに母であることが大変で、しかも恐ろしいのは、子供が麻薬患者の場合だ。ただ単に、我が子の幸せを願って奮闘すればそれで済むというものではない。苦闘の毎日だ。子供をとにかく死なせないための闘い、子供に麻薬の害を分からせるための闘い、悪い習慣と手を切らせるための闘い、そして、世の中を違う見方で眺めるように仕向けるための闘いだ。幼い子供のころ、全てが虹色で輝いていたときの、幸せな気分になるために麻薬など必要なかったころの、たっぷり一日は幸せな気分でいられたころのように世の中を見てほしい。ところが今は、すぐに耐え難い痛みが襲ってくる…。
我が子を拒否するような母親はいない。病気の我が子に背を向ける母親などいない。母親は、あらゆる手段を講じてわが子を救おうとする。それまで蓄えた一切を注いで子供を治そうとする。折あれば子供と話をしようとし、せめて我が子にわかってもらいたくて惨憺たる有様の麻薬中毒患者の写真を見せたりもする。そして、災いを招いたのは自分の罪だと思いこみ、自分で自分を責めてしまうのだ。あの子にしっかり目を配っていればよかったのに、最初の兆候に気付いてやればよかったのに…。
母親には、つらいものだ。かわいいわが子が麻薬がどんな害を及ぼすか知らないまま、ただ苦しんでいるのを見ているのは。我が子が禁断症状を起こして、その痛みに泣き叫ぶとき、母親も泣きたい気持ちでいる。でも母親は泣くことができない、泣いてはいけないのだ。母親は強くなければならない…。
いったい、どうしてやさしくしてくれた母親のことを思ってやれないのか。麻薬を始めた時、なぜ、マリファナやヘロインの害について考えなかったのか、どうして、母親がもっとつらい思いをすると分からなかったのか。子供が痛みで泣き叫ばぬよう、代わりに痛みを一身に背負おうとする母のことを。
だれよりも母のことを大事にしなければ。母を、ただひたすら盲目的に愛しなさい。母の元に癒しも喜びも幸せも見いだせる。すると、麻薬は危険なものではなくなり、恐ろしい力を失うだろう。母への愛は、一切を汚れなきものにしてしまえるのだから。
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