インターネットで「覚醒剤について経験を話そう」と小森榮さんが書いたメーモのせいで論議を醸し出した。
この手記を読む方に:
ここに紹介するのは、覚醒剤による幻聴に追い詰められ、鉄道に飛び込んだ人の手記です。
彼は当初、生き延びてしまったことをうらみ続けたそうです。しかし今、彼は車椅子の生活のなかで、さまざまな後遺症と闘いながら、将来を必死に模索しています。
これからの人生を前向きに生きるために、苦しみながら、この手記を記しました。
語れないほど重い体験を言葉にするのに長い時間がかかりました。それは、書くことで忘れたいあの日を繰り返して経験するという過酷な作業でした。
覚せい剤は危険な薬物です。しかし、乱用者の大半は、手記の筆者のような体験をすることなく、乱用から離れているのが現状です。また、覚せい剤による幻覚・幻聴の内容は人によって様々で、手記の筆者のように恐ろしい体験をするひとは、むしろ稀だと思います。
この手記から「覚せい剤を使うと、こんなに恐ろしいことが起きる」という、メッセージだけを受け取るのは、早合点だと思います。彼の悲劇には、多くの要因が関係しているはずです。引き金をひいたのが、覚せい剤によってもたらされた幻聴だったのでしょうか。
小森 榮
気が付いた時には、周りには、暴力団、いわゆる「ヤクザ」との付き合いが多くなっていました。私に覚せい剤を教えてくれたのもそのうちの一人でした。
当時の私は、昼と夜の顔を持つ、生活を、送っていました。
昼は、正業に就く一般の社会人として。
夜は、今の言葉で言うと「企業舎弟」です。
薬物の売人こそやってはいませんでしたが、それはもう好き勝手に遊び歩き、その遊び歩く為なら、人のやれないことも、やらないことも、金の為なら何でもやっていたのです。
私が薬物を使用していることを知っていたのは、ごく一部の人だけでした。私に覚せい剤を届けてくる仲間にも、私が乱用していることを、固く口止めしていたのです。何故なら、薬物の乱用者と、思われる事が、自分のプライドが許さなかったのです。
仲間内が集まる席や、仕事場に置いては、細心の注意を払い、行動していました。
当時の私は、物事全てが、自分中心でなければ気がすまなくなっていました。
「人前に出る時だけ、きちんとしていれば何の問題もない。」と、本当に身勝手な生活を、送り続けていたのです。物事全てに対する考え方が、確実に狂い始めていました。
いくら若いと言っても体力にも限界は、有ります。全てが思うように事が運ぶわけが有りません。外で、人に会うときや、仕事の時には、普通にしていられたのですが、家に帰ればその生活たるもの、目に余るくらいの堕落した日々が続いていたのです。
確実に狂い始めていたのが、自分が一人になったときです。
それは、家族の前であったりするわけですが、私にとっては、唯一、気を使わなくてもいい場所が、一人で遊び歩いているときか、自宅に戻り、一人で部屋にいるときなのです。そんな私の生活は、家族の前では、別人のような生活を、送っていました。いわゆる「シャブよれ」です。薬物の乱用により普通の生活が、送れなくなっていたのです。
人一倍、猜疑心も強くなり、親や、兄弟に対しても、事ある度に反発し、何が「正義」で、何が「悪」なのか、現実を見極めることが出来なくなっていたのです。
乱用者の中には、おかしな行動をする者もいました。誰が聞いても理解することの出来ない発言や、不可解な行動をする者など、その内容は様々ですが、そういった仲間達には、幾つかの共通点が有りました。
その共通点とは、誰が聞いても「嘘」だと分かる話を、真顔で延々と話し続けたり、待ち合わせの時間に必ずと言っていい程遅れて来たりするのです。
薬物を使用している事がばれたりすれば、手痛い制裁を受けなければならない者も仲間の中には、いましたし、放って置けば自分達の首を、自分達で締める事にもなり兼ねないので、仲間内で制裁を、加える事もしばしば有りました。
しかし、私の場合は、公の場で失敗したり、仲間に咎められる事無く行動していたので、当然の事ながら「自分だけは、他の連中とは、違う!」と思い込んでいました。
薬物を乱用するようになって、約2年程過ぎた頃だと思います。
「特別な自分」を、作り上げていた私にも、心の片隅には、多少の「罪悪感」は、有りました。
付き合いのある仲間達の堕落した姿や、信用を無くして行く姿を見て
「やはり私自身このままでは、本当にまずいことになってしまうのでは?」と、一時期本当に悩んだことも有ります。
その為に何をしたかと言うと、よく新聞などに載る「人生相談」のようなものなどに電話をかけて、私自身のこととは言えないので、「友達が、覚せい剤に手を出し、困ってるけれど、どうしたら良いですか」等と何か所も電話をかけたことが有ります。その時の私は、「ボランティアで、本気で相談に乗ってくれるところなどあるわけなど無い!まあ、自分なりにセーブしながらコンデションを整え、行動して行く他に道はないのだろう」と、結局は、薬物に手を出す事を止めず、堕落して行く日々が続いていったのです。
しかしそんな自已中心の私をほっておくほど、世の中、決して甘くは、有りませんでした。体調を崩し寝込んでいたところに、8人ほどの警察官が、家宅捜査令状を持って、自宅に押しかけてきたのです。警察官に乗り込まれたときは、余りにも突然だったので、一体自分の身の上に何が起きたのか、状況を把握することが出来ず、組織のトラブルに巻き込まれたものと勘違いしてしまい、反射的に襲いかかる始末で、8人掛かりで押さえつけられ、その時はじめて相手が警察官であることを知りました。
普通なら拘留された時点で、反省するものなのでしょうが、「天上天下唯我独尊」と、自分自身の中に、本当にふざけた大義名分を作り上げ、全く反省することなど無く、「誰が、何の目的で警察に通報したのか?」等と私を陥れたものへの復讐ばかりを考え、日々の生活を送っていたのです。
言葉を置き換えて言うならば、「後悔」だけの生活で、そこには、何の学習も、本当の意味での向上心もなかったのだと今にして思っていますが、その当時の私は、刑務所で生活することだけが私に与えられた償いなのだと思い、過ごしていたのです。
当時の私の思いは、「俺を警察に突き出したのは、赤の他人ではなく実の親じゃないか!通報する前に何故自分に問いかけてはくれなかったのか?何故俺のことを赤の他人に話したりするんだ!」そんな思いが完全に自分の心を支配していたのです。
そんな気持ちを持って生活しているのですから、私自身の行動は、徹底していました。
一言で言うなれば、「家庭崩壊」です。
「夢であって欲しい!」、何度も何度も心の中で呟いていました。しかし、両足切断という状況は、否応なしに認めなければならない現実だったのです。意識が戻って、治療も順調に進み、これからの事を考えて行かなければならない自分が、重くのしかかって来るのです。
逃げ出したくても逃げ出せない自分。これから何を頼りに何を目標に生きていけば良いのか?どうしようもない寂しさと不安の中に、身動きもとれずたった一人で苦しみました。
一ヶ月以上も寝たままで、ついていた筈の筋肉も落ち、手すりにつかまり身を起こすことも出来ず、車椅子に乗り移ることすら出来ない状態でした。体力が完全になくなり、毎日のリハビリに行くことすらきつい物でした。その上、悪いことが重なるもので、肩が上がらなくなり、エレベーターのボタンすら押せなくなっていたのです。
何度も何度も、死にたいと思うことが有りました。このまま生き恥をかいて生きて行くのなら、本当に死んでしまったほうがどんなに楽か!そう思う片側では、生きてこそ本当の自分の真価が問われるのでは、とも思っていたのも事実です。そんななかで、担当の看護婦さんが本当に親身になって世話をして下さり、前向きになれなかった自分の中に、少しだけ前を向いて歩いて行こうという気持ちが沸いて来ました。
事故を起こしてから4年目です。ここまで来るのに、本当に一言では言えないことが沢山ありました。励まされ、望みをつないで来られた事も多々有りました。まだまだ苦しみぬかなければならない事も、事実です。でも、本当に苦しい思いをしたのは誰だったのでしょうか?私は家族ではないかと思うのです。この様に身体になって、見舞いに来たことは一度もない家族が、一番苦しんだことと思っております。
覚せい剤に限らず、薬物は人生を確実に狂わせます。その場はなんでもなくとも、後遺症に悩む者もいれば、信頼関係を失う者も、家族を苦しめ続ける者もいます。薬物を使うということは、自分と他の人をつなぐ「絆」を自分で断ち切ってしまうことなのです。人が人として生きていくに当たって、大切なものとは一体何か?『絆』です。事情はどうであれ、薬物には絶対に手を染めない。もし、周りに手を出しているものが居るのなら、心を鬼にしてでも止めさせるべきだと。私は強く思っています。
私の経験は、薬物を乱用する者達の、誰にでも起こることではないかもしれません。ですが、覚せい剤を使って幻覚や幻聴を経験したことのある者は、多いと思います。しかも、当時の私は薬物を常用していたわけではなく、覚せい剤から完全に離れて10年近く絶って、魔がさしたというか、気がゆるんだというか、たった1回使った覚せい剤が原因で、始まったことだったのです。
薬物を使った影響は、いつ、どんな形であらわれるか、わからないと言う事を知って欲しくて、私は自分の恥を晒してでも手記を書いてきました。「自分の身体に何をしようが自分の勝手だ。誰に迷惑がかかるわけじゃあるまいし」。本当にそれで済む事なのでしょか?「自分はまだ大丈夫」、「少しだけなら心配ない」などと言い訳しながら薬物を使っている人たちに、私は「薬物を甘くみるんじゃない」と伝えたい。
正直に言うならば、薬なんて二度と手を出さないと思っている私でも、夢の中で覚せい剤に手を出してしまう自分が居たり、本当にしつこいくらいに付きまとわれるものなのです。
今の私は、生き抜くことで精一杯の生活を送っています。慣れないパソコン相手に頭を使い、思うように動かぬ指先に苛立ちを覚えながらも、これも私が生きて行く最後の道だと信じ、必死で毎日を過ごしております。
本当に死に物狂いで物事に立ち向かう時、大きな壁が立ちはだかりますが、その壁を乗り越えてやると覚悟を決めると、真の協力者に出会えるはずです。そしてその壁を乗り越えることに必ず手を差し伸べてくれます。その時は気がつかなくとも、後になってみれば「あの時、もしあの人と出会う事が無かったら!」という感じでね。
自分は、車椅子で一生過ごして行かなければなりませんが、目標が叶うまで絶対に諦める事無く、何度でも挑戦し続け、最後は協力して下さった方々と、声を張り上げ笑って過ごしたいと思っております。
当たり前のことですが、諦めることは簡単です。簡単なことは誰でも出来ます。難しいことに挑戦してこそ、進歩し、人としての真価が問われると思うのです。苦しくなったり、逃げ出したくなったり様々ですが、負けない、諦めないと思っております。生きている限り、やり直すに遅い事など何も有りません。失敗は取り戻せるのです。そう信じて私は逃げ出す事無く頑張って過ごしていく覚悟です。
「最後に、この手記を載せて下さった、関係者の皆様に心よりお礼申し上げます」と書いた。