入院する前、偶然、手にしたのは「神への道」と題するパンフレットだった。堕落と汚れと罪だらけの人生に疲れたある人が、神に「御身のもとへたどりつく道を示し給え」と祈りはじめた、とあった。教会にも通ったし、教派も変えたが、生きていても何も変わらなかった。全てが元のままだった。巡礼者に出会い、どうすればいいのか、どうすれば楽になるのかたずねてみた。巡礼者は答えて、「許しを請え、懺悔しろ」と言う。長いこと自分の犯した罪を思い出しては悔いあらためてみたが、何も変わらなかった。それどころか、罪の重みがどんどん増して彼は全く絶望してしまった。すると、別の巡礼者が現れて言った。「神は汝の罪咎を引き受けるため、ひとり子を暗闇のこの世に送り給うた。汝の罪はゆるされた。過去も未来もそして現在の罪すべてにおいて赦されたのだ。ひたすらに心からこの赦しを受け入れるがよい」
昔、同じような話を聞いたことがある。でも、このときは突然目の前が明るくなった。その通りだ!私は赦されたのだ!入院したのはまさに日で、聖書をもらうとすぐに開いて1ページ目から読み始めた。もう1週間、何かが自分の中で起こっている感じがする。魂が和んできたみたい。それまでは、殻に閉じこもって四六時中不機嫌だったけれど、急に微笑みが浮かぶようになったし、なんでもないことで笑い転げるようになった。何年こんな気分を味わっていなかったか…。同じ病室の人と、昔だったらできなかったのに、いろいろ話を交わすまでになった。気分がとてもよくなった。
悔やまれるのは、私の「神への道」がこんなにも長かったということ。
2005年のこと、おまわりのやつらが私を打ちすえて、まだ12だった息子を押さえつけながら、ヘロイン5グラムを所持していたという自白書に署名しろと迫ったのは。確かにもう人生のどん底にはいたけれど、あんな目に遭ったことなんか一度もなかった。おまけに罰金500ドルだと言われた。あの頃の500ドルは私にとって500万ドルに等しい額だった。息子と二人で逃げるように家を出て、4カ月隠れ回った。屋根裏や集合住宅の地下、それにお金が手に入ったときは木賃宿に隠れていたけれど、もう行くところがなくなった。おまわりはひっきりなしに家にやってきた。窓やドアも壊された。きっと私が中に隠れているって思ったのよ。
そうこうするうち秋になって、戸外で寝泊まりするわけにはいかなくなった。風呂に入ったり着替えたりしたか、それは言わなくても分かるでしょう。とうとう12月。息子を親類のところに勝手に預けることにした。親類たちには、もう長いこと縁を切られて、顔を見ても私のことが分からないくらいだった。私は息子を押し付けて外に出た。
寒いし雪も降る。ねぐらも暖かい服もない。暖をとるのはウォッカだけ。行き当たりばったり、一人ぼっちでうろついていた。古い知り合いは私を見ても気がつかなかったし、知り合いを見かけでもしたら私の方から逃げ出した。息子のところには毎日行ってみた。でも、私なんか息子には意味のない存在。会ってもただ痛い思いをさせるだけ。5回厚生施設に拾われたけど、いつも3~4日で放り出された。で、またもや外をはいずり回るはめになった。神様に「死なせてください」って手を合わせた。死ぬよりほか逃げ道はないと思っていたから。
あるとき、もう春だったけど、目に涙をためた息子がやってきた。追い出された、おばさんには毎日叱られるし、家の仕事を全部やらされる。居候のお前なんか母親が引き取ればいいんだ、とわめき散らされたと言う。もちろん、学校にやってもらってもいなかった。
そのことがあるまで、私は息子のためには自分がいなくなった方がいいと思っていた。私は「とにかく何とかするから」と言って息子を落ち着かせた。息子が帰って行った後、どっと感情がこみあげてきて我慢できなくなった。それまでは無感動で心もすさみはてていた私なのに、建設現場の片隅で4時間も涙があふれて止まらなかった。声をあげて泣きじゃくった。エディックはどうなってしまうのだろう。みんなに邪険にされて、一体どうすればいいのか。唾を吐きかけられ、私みたいな人生をくりかえすかもしれない、と考えた。母親の二の舞なんて、何より恐ろしいことだった。
その日、私の心で何かがはじけた。眠りから覚めて、生きるための闘いを始めた。でも、体はぼろぼろで、実際、はって歩くほどだった。栄養失調で、体重は37キロしかない。あの時は、私を見ればだれでも、十中八九生き延びられそうもないと思うような状態だった。
その頃ビシケクに初めてエイズ専門病院ができたので、私は悪いところを治してもらいに行った。どうにでも好きにして頂戴って、居座ったけど、追い返されたわ。酔っぱらいはだめだと言われた。あの日から一滴も飲んでいなかったのに。あちこちみんなに嫌がられながら、物乞いをしたり、食べるものを買うお金をねだって歩いた。元気を取りもどさなければいけないと思ってね。息子には、本当に頭が下がるわ。マルシュルートカに乗って床掃除や車掌みたいに運転手の助手をして稼いでくれた。稼いだお金でパンやサラダを買って毎日私に届けてくれたし、できる限りのことをしてくれた。でも、お金はくれなかった。また飲んじゃうかもしれないと心配だったからなの。
私は新聞のインタビューを受けて、キルギスで初めてのエイズ・コーナーを開いた。そしたら、この分野で活動を始めていたある社会団体が私の存在に気づいて、息子と二人を社会施設に引き取ってくれた。私は2度入院させてもらった。障害者認定を受ける手助けもしてくれて、食費分として月15ドルだけでも手当がもらえるようになったし、気胸性肺炎の治療もできたし、ヘモグロビンは26だったのが平常値に戻った。肝硬変の進行も抑えることができたし、おかげで、他にもあったいろいろな病状が治まった。
私たちはその団体に1年半厄介になって、やっと自分の足で立つことができるようになった。これから先は全部自分次第。これから歩いていくのは、まだ汚れが全然ついていない道、ゼロからやり直す道だと思っている。
書いていて、涙をこらえることができなかった。でも、この涙は、魂を清めてくれる涙、これまでの試練を神に感謝する涙なのです。
吸い込まれそうです、吸い込まれて向こうの景色を見てみたい。
何だかよく判らないけど・・・いいね。
真理ですね~深すぎて見えない~でもこの橋がどこまで続くのかそれともループなのか知りたいでうね
神は自分自身の魂の中にいるね
難しそうですね!
リュドミーラさん(*^_^*)
こんばんは☆
自分の中を浄化・・・
『愛と感謝』に変えること。
心に影ができる出来事があったり、
周りの人の言動に心が揺れ動き、心に影ができると
この『愛と感謝』の想いを忘れてしまう私です。
つまり、ネガティブな状態に入ってしまう感じです・・・
心のお掃除を定期的に意識してしてみたいなって思いました。
素敵な記事にぽち☆
この半年間で、知らないうちに自分の中に溜まってしまったネガティブなもの・穢れを、
きれいに浄化する禊ぎの日です。
皆既月食の満月・夏至と続いた浄化期間に浮き上がってきた
ネガティブなものを
きれいさっぱりと大祓しましょう。