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24.10.2012       15:55       43日       エヂック

Изображение 親しい仲間の誰かに死なれた時の気持ちを伝えるのはなかなか難しいでしょう。私は20歳で、すでにそんな人たちの2人を失って、もう一人を失ってしまう可能性の状況です。

 まず、私のお祖母さんが亡くなりました。私は6歳のころでしたが、すべてを覚えています。私は祖母さんが死ぬ前に一番最後に見た人でした。祖母が麻痺し、その日、自宅で身を横たえていました。当時、私の母はお祖母さんにお茶を作るために台所に行って、私も母と一緒でした。彼女は大声で呼吸していました。非常に私を愛していることを私に言って、今から死ぬとも言っていました。私も母のことをとても好きだと言った後、母が喘鳴を止めました。

のときに、私は何も理解できなく、母の言葉に混乱されてしまいました。これについて言おうと思って、母の所に走ってきました。でも、母は祖母さんの所に走っていってしまいました。母が大声で叫んで、祖母さんを起こしていました。私は怖くて、逃げ出しました。その後、みんなが泣き始めました。でも、私は祖母さんが亡くなったことに信じられませでした。母は私に祖母さんが神様に連れて行かれました。あの雲の中にいますと言っていました。そして、私は気分が悪くなったり、祖母さんのことでミスしたりしていた時に、私も雲の中に行って飛びたいと思いました。

  墓地では、私が気持ちわるくて大変でした。母が祖母さんのことを怒りながら、泣いていたのを見られませんでした。何でか自分も理由を分かりませんでした。

  私が19歳の時、父のように思っていた近いおじさんサーシャに死なれました。彼は33ヶ月ベッドに横たわっていましたが、彼が死ぬと誰も思っていなかったです。母はよく彼のところに来たり、彼の世話をしたりしていました。私も来ていました。彼が死ぬ前の3日間前に母はサーシャが死んでしまうかも知れないと言っていましたが、私は母のことに信じなかったです。彼に最後の日合えなくなって、とても残念に思っています。当日、少しやることがあって、「明日でも行って来よう」と思っていたから、間に合わなかったです。

 彼が母の前で死なれたということを母からの電話で聞いて全く信じられなかったです。すぐ来ました。何か鈍感で彼が今起きて「嘘でした」と言うと思っていました。すごく気分が悪くなってきて、何でも手から落ちていました。そのごろ、私はすでに雲の中に住むといことなどには信らないようになりました。でも、神様には信じていました。神様に何回も助けられたことがありましたから。一つだけ理解できないことは死んだ後、人生の続きはあるかと頭の中で混乱していました。体が腐るでしょう。肉体のない人を想像できなく、いろいろ頭の中で判明していました。でも、自分が理解しているように信じてもいいでしょう。いつかわかるようになると思います。

  一般的には、死亡について聞くと気分が悪くなってくるし、痛々しいです。ですから、そんなことにあまり深く関わって考えたくないです。もっとも重要なのは母が元気であること、母がいない生活を想像できないし、そんなことについて考えたくないです。何が起こるかが神様しか知らないでしょう。

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コメント:

  • 人間万事採用が馬, 01.11.12, 12:01

    こんにちは
    nakagome-aiさん!

    あなたが赤ちゃんだったころ、思い出してみましょう。
    と、言っても自分では覚えていないでしょ。
    それでいいのですよ。
    覚えていなくてもあなたは一生懸命泣いていました。

    「お腹が空いたよ、おっぱいが欲しいよ」
    「オムツが濡れて気持ち悪いよ、早く取り替えて」
    と一生懸命泣いていました。
    なぜ泣いていたか、わかりますか?
    そう、生きるためです。
    あなたは「生きたいよ、生きたいよ」って、生きるために泣いていたのですよ。忘れてしまっていてもいいんです。事実だから。そしてそれが本能だから。。。。。

  • nakagome-ai, 01.11.12, 11:56

    私も辛い世の中に絶望しました。。。。前にも後にも進めない、もうどうしていいかわからなくて「自分なんか生まれてこなきゃよかったんだ」と嘆いている