マヤ反薬物トランスナショナルオンラインコンテスト。反アルコルや薬物中毒ビデオ、写真、ポスター、絵画

17.10.2012       12:42       36日       エヂック

Изображение昨日午後10時私に母のディレクター、スヴェトラーナ・ワレンティノブナから電話があり、早く戻ってくるように呼び出された。ママが病気だったのである。私が着いたときにママがひどい状態だった。彼女は目が開けたままでしゃがれ声を出していた。私は彼女を目覚めさせようとしたが、彼女は何も答えなかった。それから彼女が話し始め、目覚めたが、その時から私を認識したりしなかったりしていた。何か言い始めたり、すぐ忘れたり、何か言ってもそれが支離滅裂だった。私は本当に怖かった。

 最初は、ママがいくつかの睡眠薬を飲んだのかと思っていたが、その後それとは何の関係もないことに気づいた。私は "救急車"を呼んだ。医師がきたとき、熱度は約40であった。注射をしてからママが回復し始めてた。医者は彼女が肺炎が悪くなったことを言って、すぐ入院しなければならないことを指導したが、ママは病院に行きたくなかった。でも、私はママが言ったことを聞かないで、病院に連れて行くことを言った。それから、病院に行った。病院に行って、そこの部屋に入らせたら、ママがすぐ家に帰ろうとした。もうよくなってきたと言っていた。私は医者たちに家に帰らせないように頼んで、点滴を刺した後に私が帰った。

 家に帰ってきても私は落ち着かなかった。ママの仕事先にきたときのママの顔が目に見えていた。ママが気分が悪いときに私は何を感じるのかについて何も言えない。私はママのいつものとおりに言う文句などになれているし、それでも、ママが疲れを感じないでいつも働くし、家事のこともやるから、私も本当になれている。おそらく、それほど悪くはないと思う。高齢者は何か文句を言うような。。。

 

母親に死なれるかもしれない。それが怖い。私は彼女がいなくなったら、どう生きていけるかが分からない。喜びのときも悲しみのときもすぐママに電話して、すぐママの所にきたりする。その上に、私はどこに住むかも分からない。我々には家もない。給料だけでアパート代や食べるものどうするかも分からない。ママはどうやって暮らしていたか全く分からない。これらは重要なことではありません。重要なのは母親なしでは生きていけないことである。

 朝早く協会の方に向かった。神様しか私を助けてくれない。私は神様にしか信じない。そのときに、実際に神様が私を助けてくれた。ママが少しよくなってきた。残念ながら、父親のパーヴェルが町にいない。彼がいれば、今の私を本当に助けてくれたと思う。

 

 

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コメント:

  • 小島, 18.10.12, 19:07

    こんにちはエヂックさん!
    素晴らしいブログです。
    時間があるときいつも読んでいます。
    私も7年間HIV陽性者。
    今のところでは色んな薬を処方してもらいっています。
    最近、少しでも体調を整えたみたいです。
    エヂックさんのお母さんは今どういう治療を受けていますか?